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しんどい

 

翌朝、目が覚めると昨夜のような身体のだるさを感じた。

 

熱を測ると38℃とぶり返している。

 

この日12時30分発イラン・テヘラン行きのチケットを予約していた。

 

クアラルンプールで乗り換えをするため、移動時間は計12時間。

 

その日の23時過ぎにテヘランに到着する予定だ。

 

これだけしんどいとさすがに行けないと思い、エアアジアのキャンセル方法を探した。

 

すると日付を変更することができると知り、急いでアカウントを作成し、日付変更を試みる。

 

しかし、48時間以内の変更はできないということを知り、また絶望する。

 

もしこれがイランでなければ無理を押してでも移動していただろう。

 

しかし、イランは旅人にとって色々と大変な国なのだ。

 

一つ目がお金である

アメリカと仲の悪いイランではVISAカード、マスターカードが一切使えないのだ。

 

そのため、イラン入国前にドルもしくはユーロに両替する必要がある。

 

この『いくら両替しようか?』がしんどかった。

 

二つ目がインターネットである

イランではFacebook、ツイッター、YouTubeなどが規制されている。

 

Opendoorというアプリをダウンロードすれば使えるのだが、この熱発している状態でその作業をするのが煩わしかった。

 

三つ目がビザである

イランはビザが必要で、60ドルと高い。

 

それは良いのだが、到着後ビザが取れるまで何時間も待たされることもあるという。

 

熱に冒された身体でロビーで何時間も待たされる。

 

考えるだけでゾッとした。

 

それ以外にも今回購入したチケットも悪かった。

 

格安チケットというものは、乗り換えを自分でしないといけない場合が多く、その到着時間も深夜や早朝ということが多い。

 

深夜0時に到着し、ホテルに泊まろうにも周りにあるのは最低1泊1万円以上の高級ホテルばかり。

 

4万円のチケットを捨ててしばらく療養するか

 

無理を押してテヘランに行き1.5万円のホテルに泊まるか

 

朝食を無理やり詰め込み、しばらく考えていた。

 

すると朝食の影響かなんだか身体が楽になった気がする。

 

そう思い体温を測ると37.2℃に下がっていた。

 

行こう!そう決意し、タクシーで空港へと向かった。

 

その後、熱が大きくぶり返すこともなく、無事イランに入国することができた。

 

結局1万円のホテルには泊まらず、空港のベンチで寝袋に包まって眠ることにした。

やってしまった

 

フエで遊んでいるときからその前兆はあった。

 

ホイアンから移動したその日、朝からほとんど食事を取っておらず、水も飲んでいなかった。

 

そんな状態でベトナム人医師で友達のHoaiたちと遅くまで遊んでしまったのが悪かった。

 

翌日フエからダナンに帰ってきた頃には、明らかに体調がおかしかった。

 

携帯している体温計で熱を測ると38.9℃。

 

しんどいわけだ。

 

しばらく寝ると直るかとも思ったが、ある心配がよぎった。

 

マラリアだ

 

東南アジアにはマラリア蚊が生息する。

 

アフリカほどではないが、蚊に刺されてマラリアを発症したという例も少なくない。

 

マラリアは、対応が遅れると最悪死に至る感染症だ。

 

「俺、死ぬのか?」

 

そう考えると怖くなり、急いでタクシーに乗り病院へと向かうことにした。

 

時刻は夜の7時過ぎ。

 

通常診療は終了しているようで、夜間診療の救急外来室で診察は行われた。

幸い、英語を話す医師がいたので自分の症状について詳しく説明することができた。

 

もし彼がいなかったらと思うと少しゾッとする。

 

彼がいうには、おそらく脱水からくる普通の熱だが、念のため血液検査をしようとのこと。

 

そして下痢が続いていることも気になるから腹部の超音波検査も行うということだった。

 

診察料が気になったが、楽天プレミアムカードで200万円までなら医療費を支払ってくれるため、医師には全部やってくれと伝えた。

 

結果的に言うと、彼の見立て通りただの熱だった。

点滴を2本入れるとたちまち元気になった。

 

病院を出る頃には時刻は夜の11時を回っていた。

 

3時間ほど点滴を打ち続けたことになる。

 

途中、暇すぎてYou Tubeを見ていたほどだ。

 

なにはともあれ回復した。

 

これで明日、予定通り12時発でテヘランに行けそうだと思ったが、そう上手くはいかなかった。

 

 

 

ソンラで大和とHaファミリーに別れを告げ、ビーチで有名な町ダナンへと向かう。

 

飛行機であれば1時間足らずで行けるところをあえて13時間かけて行くことにする。

 

寝台列車・南北鉄道にどうしても乗りたかったからだ。

 

日本ではほとんどなくなってしまった寝台列車。

 

海外を旅するときしか乗る機会がないため、この南北鉄道に乗るのをずっと楽しみにしていた。

料金は5000円と飛行機とほとんど変わりない。

 

車内は非常に清潔。

 

車輪の音は少しうるさかったが、快適に眠ることができた。

 

朝起きると下にいた3人家族は降車したようで一人のおっさんが食事を取っている。

 

私のことを気に入ったのか、しきりに話しかけてくる。

人の良さそうなおっさんだったのでしばらく話していると、おっさんは医療機器を扱う貿易商らしい。

 

しかも結構大きい会社らしくそこのディレクター(取締役)をしているらしい。

 

「俺、日本の理学療法士だよ」と伝えると

 

「本当か?日本で良い医療機器はないか?」と急に真剣な話になった。

 

その後、話がかなり盛り上がってきたところでダナンに到着した。

 

「それならいい会社知ってるから紹介するよ」と伝え、彼の名刺をもらい別れた。

到着後、早速有名なミーケビーチに泳ぎに行った。

 

一人ビーチがこんなにも寂しいものだとは知らなかった。

 

昨晩のことである。

 

ベトナムでの病院見学を終えた後、ホストファミリーの家で夕食を食べていると相方・北川大和に一本の電話がかかってきた。

 

聞くと若い女性にソンラの観光名所である池に呼び出されたとのこと。

 

なにやらその女性は『日本語を話したい』といった内容を話していたらしい。

 

とりあえず予定もないし行こうかと、自転車で20分かけて池についた。

 

池に着くと女性が出迎えてくれた。

 

そして建設中?廃墟?のような建物の二階に着くと

日本語を学ぶ地元高校生たちが

 

こんな田舎の町に日本語を学ぶ子どもたちがこんなにいるのかと驚いた。

 

『で、どうすればいいの?』と二人でキョトンとしていると

 

『はい、では彼らに日本語を教えてください』と先生より無茶振りが。笑

 

彼らの日本語レベルは、簡単な単語をいくつか知っているくらい。

 

私が知っているベトナム語といえば、こんにちは・ありがとう・カンパイの3つのみ。

 

ということでひとまずベトナム語が堪能な大和氏に任せることに。

さすがは元塾講師、急な無茶ぶりにも関わらずどんどん授業を進めて行く。

 

彼がネタ切れになったところで、私の登場。

彼のふざけた板書を使って面白おかしく授業を進める。

 

ていうか高校生に対して”お酒を飲みます”はいらないだろう、大和よ。笑

 

二人で1時間ほど話をし、最後は質問コーナーに。

 

楽しい質問が来るかと思いきや

 

『日本の大学に行くならどこが良いですか?』

『日本で働くならどんな仕事がいいですか?』

 

となかなか返答に困る質問が

 

二人であれこれ相談し、わかる範囲で答えさせてもらった。

 

いざ終わるとどっと疲れが。

 

何か美味いものでも食おうかと二人で焼肉へ。

仕事終わりの焼肉は美味かった〜

 

彼らが近い将来日本に来てくれるといいな

隣の青の服を来たのは大和氏です。すっかりベトナム人になったね

 

 

ベトナムを訪れた一番の理由は大学時代の親友・北川大和に会うためだ。

彼は約半年前よりベトナム北部の町ソンラでJICAボランティアとして働いている。

彼の計らいで、彼が理学療法士として勤めている病院の見学をさせてもらえることになった。

 

8時間かけてハノイからソンラに着き、まずは彼のホームステイ先へと向かった。

時刻は朝6時、家に着き挨拶を早々に済ませるとこれから朝食だという。

私もホームステイさせてもらえることになっており、一緒に朝食を食べさせてもらった。

ベトナムの朝は日本よりも少し早い。

朝食は朝6時半に取り、7時半から仕事が始まる。

そして11時半まで働き、2時間の休憩。

1時半から仕事を再開し、5時まで働くというのが彼のベトナムでの生活スタイルらしい。

 

到着したこの日は特にやることがなかったのと移動の疲れで、彼が仕事から帰ってくる夕方までずっと眠っていた。

 

5時に彼が帰宅するとすぐにホストファミリーとの晩餐会。

ベトナムの家庭料理が所狭しと並ぶ。

ベトナムの家庭料理は日本のものと似ており美味しい。

おばあちゃんがもっと食べろと何度も何度もお代わりを勧めてくる。

結局3杯もおかわりしてしまった。

 

そしてこれを飲むぞとお父さんがニコニコしながら取り出したのは自家製酒。

アルコール度数が30%以上と強い。

これを何度も一気飲みさせられる。

 

いつもは酒を飲むとすぐに寝てしまう大和だが、この日は余裕の表情。

なるほど彼もベトナムで鍛えられたようだ。

 

久しぶりの友人と初めましての優しいベトナム人ファミリーと存分に会話を楽しんだ。

その日は、彼と二人で大きなダブルベッドで眠ることにした。

 

 

https://vietnam-navi.info/article/tan-son-nhat-airport-entrance-guide

 

ミャンマーのヤンゴンを出発し、バンコク経由でベトナムのハノイへと向かった。

 

上空から見るホーチミンの街は、等間隔に街灯が灯っており綺麗だった。

 

この時からなんとなくだがイヤな予感がしていた。

それは不幸にも的中することとなる。

 

それは入国審査の時だった。

親友と電話をしながら慣れた手つきで入国を済まそうとしていると

 

『あなたはベトナムに入国できません』と言われた。

 

あっけにとられていると少し離れたカウンターへと連れて行かれた。

 

話を聞くところ、今月、台湾からバンコクに行く際に乗り換えのためホーチミンに一時入国した。

 

そしてベトナムという国は、ビザなしで1ヶ月間に二度入国することを禁止している。

 

『残念ながら、あなたはベトナムに入国できません』

と軍服を着た厳格な空港職員に再度言われ、絶望した。

 

というのもベトナムでは、JICAボランティアとして働く親友に会う予定をしていた。この旅、一番の楽しみだ。

 

こうなると情に訴えるしかない。

 

親友を訪ねるためベトナムに来たこと、これまで2年間医療人としてベトナムでのボランティアに携わっていることなど聞かれもないのに話した。

 

すると『ちょっとそこで待っとけ』とぶっきらぼうに言われた。

 

20分くらい経ったろうか。

 

突如『ほらよ』と渡してあったパスポートを投げつけられる。

 

『ビザ取っといてやったぞ』

 

確かにベトナムビザがパスポートの一ページに貼り付けられている。

 

安心して『ありがとうございます!!』と伝え、再び入国審査へと向かった。

 

このようにしてなんとか無事入国できたのだが、後から調べると今回の私のような状況でもアライバルビザが普通に取れるらしい。

 

なぜあんなに脅されたのか、その理由はわからない。

少し腹立たしくもあったが、調べていなかった自分が悪い。

 

なにはともあれ、入国できたのだ。

気持ちを切り替え、その足で8時間かけて親友の待つソンラへと向かうことにした。

 

ベトナムの夜行バスは派手

 

 

 

ヤンゴンを夜行バスで約8時間、ミャンマーマンダレー地域にあるバガンへと向かった。

 

バガンは、カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに世界三大仏教遺跡に数えられる。

 

朝6時にバガンに到着し、チェックインの14時までかなり時間があったため、電気バイクを借り、遺跡を見に行こうと街へと繰り出す。

気温は38℃。

 

その街並みはまさに田舎。

街らしい街といえば、観光客たちの宿が集中するニューバガンのみ。

この街に住む子供達も観光客慣れしていないのか、一人で歩いていると彼らからの視線をしばしば感じる。

 

時折、こちらから話しかけると嬉しそうに表情を和らげる。

 

写真にも慣れていないのか、皆緊張したように表情を強ばらせていたのが面白かった。

ある遺跡に迷い込んだ時、二人の子供に出会った。

彼らはこの朽ちかけた遺跡のすぐそばに住む兄弟のようであった。

どうやらいつもここで遊びまわっているらしい。

西暦1000年から1200年にかけて建造されたと言われるバガン遺跡を自らの遊び場としている彼らのことが少し羨ましく思った。

それ以外にもサンセットを見に行った。

女の子たちから写真を一緒に撮ってとせがまれた。

ここバガンには4日間滞在して改めて思った。

 

旅っていいな

 

 

『行ったことないしな』と大した理由もなかったのだが、ミャンマーに行くことに決めた。

 

バンコクからミャンマーの首都ヤンゴンに行く方法としては二種類ある。

飛行機、もしくはバスである。

 

空路は、LCCを使えば、バンコク→ヤンゴンが5000円ほどで飛べる。フライト時間はたったの1時間15分。

一方、バスの場合、料金は2500円ほど。そして移動時間は24時間以上。

 

99%の旅行者は飛行機を選ぶであろう。

しかし、私は3年ぶりに陸路での国境越えがしたいと考え、バスを選んだ。

そして道中、何度も後悔することとなる。

 

 

バンコクのバスターミナルを夜10時に出発。

ミャンマーとの国境の街Mae Sotには朝7時ごろ到着予定だという。

バスは冷房が効いており非常に快適、というより寒すぎるくらい。

 

道中何度も警官に止められ、パスポートの確認を強要されながらも、予定通りにミャンマーとの国境の町Mae Sotに到着する。

 

ここであることに気づく。

周りを見回すとタナカだらけなのである。

タナカな男の子

タナカな女の子

 

そう、タナカとはミャンマーの人たちがする化粧のことで、男も女も様々なデザインのタナカをしている。

 

 

タイの出国およびミャンマー入国は問題なくできた。

その後、バスチケットを購入し、一気にヤンゴンへ。

 

私はミャンマーという国を知らなさすぎた。

 

ミャンマーは東南アジア諸国の中では、発展している部類に入ると思っていた。しかし、どれだけ走っても田舎道。

ヤンゴンのバスターミナルに着くまで町らしい町など一つもなかったのある。

これまで訪れた国の中では、カンボジアと似ており、ベトナム、フィリピンに比べてもかなりインフラが整っていないように思えた。

そして、夜になり気づく。

暗い、めちゃくちゃ暗いのである。

久しぶりに『まずいな』と思った。

 

というのも宿は予約していたのだが、その位置に関しては調べておらず、バスターミナルからのどのくらいの距離があるのか把握していなかった。

そしてタクシーの料金などについても全く理解していなかったのだ。

 

 

夜9時、周りにはホテルなどある気配もない大きなバスターミナルに到着する。

ミャンマー人の肌は黒く、暗闇で見ると白の眼球が強調され、少し怖い。

インドに初めて旅した時も同様のことを感じたことを思い出した。

 

 

さてどうしたものかと途方に暮れていると20歳代前半だと思われる小柄な男が話しかけてきた。

 

『タクシーだろ?乗せてやろうか?』

これは助かった。しかし、まず行うことがある。

 

『そうなんだけど、ここから宿までの距離が全くわからないんだよ』

『じゃあ俺のケータイを使いなよ』

と自らのケータイを使わせてくれた。

 

調べると宿までは20km。

彼に運賃を聞くと20000チャット(2000円)だという。

 

『それは高すぎるよ(正規運賃は理解していない)10000チャットなら乗る』

『15000チャットだな』

『いや、12000チャット』

『13000チャット、これがファイナルプライス。これ以下なら乗せない』

 

こうなると私の負けである。

13000チャットで乗せてもらうことにした。

 

あとでわかったことだが、正規運賃は8000〜10000チャット。つまり400円ほどボラれたことになる。

ちゃんと目的地に着くか心配だったが、無事、宿の前まで送り届けてくれた。

 

 

バンコクを出て、ヤンゴンの宿に着くまで26時間。

さすがに疲弊しきっていたため、シャワーを浴び、食事もせずに眠ることにした。

 

タナカな女の子(帽子なしver)

 

 

2件のコメント

しばらく飲んでいると虚ろな目をしたシドルが聞いてくる。

 

『ケイタはやったことあるのか?』

 

ちなみにこのシドル、元々レスリングをしていたらしく、格闘家並みに体が

でかい。

万が一ケンカでもしたら私はたちまち病院、もしくはあの世送りにされてしまうだろう。

 

『うちの国は厳しいからね。やったことない』

『バックパッカーなら一回くらいやってみろよ』

『いや、俺は違法なものはやらないって決めてるんだよ。だからやめとくよ』

『そうか、もったいねえな』

 

 

その後、再び中華街に戻り、腹を満たした後、皆でホステルへと戻った。

 

 

宿に着いたのは深夜11時過ぎ、そのまま屋上で飲もうという話になった。

 

ただイスラエルの医師アミールだけは、『今メールしてるタイの女の子がゲットできそうなんだよ』と言い残し、再びバンコクの夜へと消えて行った。

 

 

残された4人でなんでもない話を続けた。

 

そんな中、私の興味はもちろんスペインの美女マンタである。

なんとか共通の話題を見つけたいと思っていた矢先、彼女が日本のアニメが好きであることがわかった。

 

ここぞとばかりに私は、様々なアニメの話をした。

彼女も大好きな話題に徐々に興奮してくる。

会話だけでなく、おジャ魔女どれみの主題歌『おジャ魔女カーニバル!!』を一緒に歌うなど夢のような時間を過ごした。

 

 

そんな話をしている横で、アメリカ人シドルはマリファナを吸い続けている。

 

それまで一人で吸い続けていたシドルだが、突然、自らが吸っているそれを回し始めたのだ。

 

カナダ人のスカルが当然のようにそれで一服する。

彼が吸うのは、何の驚きもない。

というのもカナダではマリファナは違法であるにも関わらず、市内では自動販売機で購入できるなど市民に非常に近い存在なのだ。

 

その後、それはマンタの手に渡った。

 

『どうするのかな?』と見ていると彼女も当然のようにそれで一服する。

先ほどまで一緒に『おジャ魔女カーニバル!!』を歌っていたあのマンタがである。

 

『ケイタもどうだ?』と皆が勧めてくる。

それでも私の意思は固い。

『ありがとう、けどやらないって決めてるから』

 

そう答えるとそれ以上は誰も勧めてこなかった。

 

 

その後、深夜2時まで話をしながら過ごすのだが、これほどに頑固でノリの悪い私に対して

『ケイタ、明日キックボクシングを見に行かないか?みんなで賭けようぜ』

と遊びの誘いをしてくれるのは嬉しかった。

 

何も予定がなければこの愉快な旅人たちと共に一日を過ごしたのだが、あいにく明日は予防接種・ミャンマービザの取得と忙しい。

 

『いつかまたそれぞれの国で会おう』とアツい握手を交わし、私たちは各々のベットへと向かった。

 

 

バンコクでこのような楽しい夜を過ごすのは初めてであった。